2009年07月01日

中華民国時期には

中華民国時期には、中国国民党と、時に協力し(1924年の第一次国共合作)、時に敵対し(1927年の蒋介石による4・12クーデター(上海クーデター)により国共分裂)、軍閥および日本との戦いを続けた。

当初は、コミンテルンの指導が強く、また、ソビエト連邦への留学生が「中国共産党」の中心勢力であった。 そして広大な農村社会を抱える中国の特殊性を理解せずに大都市の労働者による武装蜂起を革命の基本路線と考えたコミンテルンの指導に忠実に従ったために、第一次国共合作に固執しすぎ、また、国共分裂後は、極左冒険主義に走りすぎるなどの路線の失敗を犯した。 一方で並行して、中国国民党からの熾烈な白色テロの標的ともなったため、中国国民党と比較しても、十分な抵抗勢力とはなりえなかった。

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このような中で毛沢東は一農村に拠点を置きて活動していた。そうした農民を対象とした社会主義化の動きはそれまでのマルクス主義のような社会主義思想のように労働者階級を対象としたものではなかった事が今までのマルクス主義とは異なった点である。都市部は国民党に押さえられて、共産党の活動拠点は山奥の華中や華南の農山村地域であり、1931年には江西省瑞金で「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立した。

しかしこの時期、共産党は上海から移動してきたソ連留学組によって指導されていた。共産党軍は中国国民党軍の包囲攻撃に抵抗することができず、1934年から逃避行(長征を後に称される)(ロングマーチ)をした。その過程の1935年に開催された遵義会議において毛沢東の指導権が確立したと言われる。逃避行は奥地でソ連に近い陝西省延安に拠点を構えることで終わった。1935年のコミンテルンの国民党の協力せよとの指示が出され、1936年の西安事件(西安事変)、1937年盧溝橋事件、中ソ不可侵条約を経て、国民党とのいわゆる第二次国共合作を成立させた。日中戦争の際には八路軍などを編成して、華北を中心とした解放区を拠点に日本軍との正面衝突は避けて力を温存させた。蒋介石をして、ソ連との不可侵条約締結などで、反共から容共化に変えさせた。

2009年06月13日

物理学の親和性

物理学はほかの自然科学と密接に関係している。物理学で得られた知見が非常に強力なために他の自然科学の分野の問題の解決に寄与することも多く、生物学、医学など他の分野との連携も進んでいる。

特に化学とは分子科学と分子がバルク中で形成する化学化合物の科学と関係深い。化学反応は理論的には、量子力学、熱力学、電磁気学などの多くの物理分野に基づいて記述されうる。実際に量子力学に基づいて化学反応の原理を解き明かす量子化学という分野が存在する。
日本映画
バレエ
結晶学
ビリヤード
栄養ドリンク
キンボール
少子化
動物園
アレルギー
関東
為替レート
おつまみ
歌舞伎
運送
自動車工学
鳥インフルエンザ
サーフィン
薬膳
カバディ
高齢出産

生物学においても、生物の骨格や筋肉を力学的に考察したり、遺伝子レベルでの解析や進化の物理的考察を行う分子生物学がある。

地球科学においても地球を物理的な手法を用いて研究する地球物理学があり、地震学・気象学・海洋物理学・地球電磁気学等は地球物理学の代表的な分野であるといえる。

今日の物理学は自然科学のみならず人文科学・社会科学とも密接に関係している。人文科学においては哲学との学際領域に自然哲学があり、自然哲学から今日の哲学と自然科学が分離したという見方もある。また、心理学も精神物理学を通じて物理学と密接に関係しているといえる。

社会科学においては中学校・高等学校における教科としての物理は教育学と密接に関係しており、経済現象を物理的に解明する経済物理学は経済学との学際的分野であるといえる。

2009年06月08日

深層心理学理論と無意識

フロイトの抑圧する無意識
深層心理学の理論の代表とも言えるジークムント・フロイトの提唱した精神分析学では、無意識に抑圧の構造を仮定し、このような構造において、神経症が発症するとして、その治療法の理論を展開した。(批判:「抑圧する無意識」は実証できない)。
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また、精神分析の理論の応用として、個人における「良心」、社会における「道徳」の起源を、無意識の抑圧構造の文化的な作用として説明した。例えば癖や一見偶発的に見える言い誤りに対し、本人は後に説明を試みる(合理化)が、客観的に辻褄の合わない場合も多々あるためそこに個人的な抑圧構造を見られるとした。これはユングの言語連想法にも受け継がれている。

ユングの自己実現の無意識
分析心理学を提唱したカール・グスタフ・ユングは、「自我である私」が「なにゆえ私である」のかを問うた。「私である意味」は、魂の完全性、円球的完全性の実現にあると考えた。無意識は、自我を自己(ゼルプスト)すなわち「神」へと高めて行く構造を持つと仮定した。(批判:「神へとみずからを高める無意識の構造」は実証できない。しかし、「ユングの基本理論」と「ユングの思想」は分けて考えねばならない。ユングの理論は反証可能性を持たず、現代的な範疇での科学としては、成り立たない)。

分析心理学は、「神話の意味」、「死と生の意味」などを思想的に解明するに有効であった。ユング自身は、科学理論として慎重に理論を構成したが、それは表層構造において、容易に、宗教やオカルトに転用可能な理論であった。

2009年04月24日

更級日記

『更級日記』(さらしなにっき、さらしなのにき)は、菅原孝標女によって平安時代中ごろに書かれた日記。作者13歳の寛仁4年(1020年)から、52歳頃の康平2年(1059年)までの約40年間の回想録。全1巻。
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作者は菅原道真の5世孫にあたる菅原孝標の次女で、母方の伯母に『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母がいる。日記文学に列なるものの、製作形態としてはまとめて書かれたものであろうとされる。

東国・上総(現在の千葉県)の国府に任官していた父とともに寛仁4年9月京の都(現在の京都市)へ帰国するところから起筆し、源氏物語を読みふけり、物語世界への憧憬に過ごした少女時代、度重なる身内の死去によって見た厳しい現実、祐子内親王家への出仕、30代での橘俊通との結婚と仲俊らの出産、夫の単身赴任そして康平元年秋の病死などを経て、子供たちが巣立った後の孤独の中で次第に深まった仏教への傾斜までが平明な文体で描かれている。

書名の「更級」は、『古今和歌集』の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」に由来する。逆に『更級日記』にちなんだものとして、千葉県市原市に「更級通り」がある。

『更級日記』の現存する写本は全て藤原定家が書写した御物本の系統である。7か所に及ぶ錯簡を抱えて古来難解とされて来た本文も、大正13年(1924年)、佐佐木信綱・玉井幸助によって訂正・整理された。爾来、広く楽しまれて平安女流日記文学の代表作の一に数えられる。

2009年04月07日

グランジ

グランジ (grunge) とは、音楽のジャンルのひとつ。「汚れた」、「薄汚い」という意味の"Grungy"が語源。グランジ・ロックとも呼ばれる。

1990年代にシアトルを中心に興ったムーヴメントで、HR/HMやパンク・ロックなど既存のジャンルに括りきれない新たな音楽性を持ったバンドがニルヴァーナを皮切りに次々と台頭したために、メディアがそれらを一括りにするために作られたジャンルである。そのため、実際には音楽性によるカテゴリーではないが、総じてハードロック、パンク・ロックを独自に昇華させたヘヴィなサウンドと退廃的な歌詞が特徴的なバンドが多い。後にミクスチャー・ロック等の台頭もあり、それらと合わせて、80年代的なポップメタル/ディスコミュージックとは一線を画すロック、という意味でのオルタナティブ・ロックにまで広がる。グランジ自体は1994年にニルヴァーナのカート・コバーンが自殺した事によってムーヴメントの終焉を迎えるが、パール・ジャム、スマッシング・パンプキンズなどの人気バンドはその後も活動を続けたバンドも多く、また彼らのフォロワーバンドがポスト・グランジとして現在まで活動しており、リアルタイムを通過しなかった世代も含めて現在まで大きな影響を与えている。

この系統の有名なレーベルとして、シアトルのサブポップレコードなどがある。

こかぶ オスト ギュラー バスドラ ツルム 愛秋豊柿 ダービー ニバル ブラジ カシューナ パトロン ミステ シール ロング サーチツナ サイトフエ ステイヤ トップギア オーベ ランチャ ガイア ダンベル プロボ ソフォク パンプス アパッチ フェリ 吉兆 チャーハン ナイトメアー ジンゼナ テーププ うるあわ サロペ タンゴ 風の神 ファレノ イメージ ポンポン キャタピ パッション シスアド チャイム アビレ スキトル チェンバ マントラ ターゲティ 銀色の舟 月のウサギ

2009年03月23日

片側3扉・2両組成の車両である

1987年12月から1992年4月にかけて製造された、片側3扉・2両組成の車両である。6500系の2両組成版であるが、2次車が製造された1988年の広報冊子に「6000形を新造」と紹介されていたように6000系11次車以降(もしくは6000系6800番台)としても扱われる[19]。車体は同じ時期に製造された6500系と同様である。

6801F-6808Fは、6500系の6517編成までと同じくファンには「鉄仮面」と呼ばれるタイプである(上記写真の6047号に近いが、運転室の後ろに小窓を備えているほか、側面方向幕も有する。)。1989年の6809Fからは正面ガラスが大きく、側面には連続窓を採用、6518F以降と共通する車体で、一部では「金魚鉢」や「ゴーグル」とも呼ばれる。客席のうち、クロスシートは上下に拡大されてヘッドレストが付加され、取り付けピッチも広がった、6000系列の集大成とも言える仕様である。このグループは登場がちょうど旧型車の一斉置き換え時期に当たり、同型車体の6500系20両よりも多い46両が投入された。しかし、1991年の6832Fからは一転して上の写真で紹介した6500系6523F以降の車両と同様に最初から全席ロングシート、またドア付近のスペースを広く取った仕様となっている[20]。扉間の座席を例に取ると、長さ2800mmで公称7人掛け、実質6人掛けである[21]。これらには、前年に製造された6750系で採用されたインテリアが取り入れられ、座席に紫のストライプが入ったり、床に模様の入った敷物が敷かれたり、化粧板が妻面も併せてクリーム色となったりする、いくつかの変更が行われた。また、6809F以降の車両は上記写真の6518F以降と類似の車体であるが、6831Fまでは側面扉窓の天地方向の大きさがやや小さく、扉の客室側は化粧板仕上げである(1991年製以降扉窓を上方へ拡大し、内側は塗装処理となる)。なお、本系列のロングシート化改造車は6804Fの1本のみである。ワンマン運転仕様の車両がないので、車掌が乗務する支線内の折り返し列車に(ごくまれに主要幹線の普通列車にも)2両単独で用いられるほか、6000系や6500系などを用いる快速急行・急行・準急で6両(一部8両)運転を行う場合にも利用される。39編成78両が在籍している。最近では予備車をトランパス未対応区間でのワンマン対応車が運用を離れた時の代走に使用している。

制御方式は6000系の抵抗制御から5300系と同様の界磁添加励磁制御に変更された。回生ブレーキも備えている。主電動機は6000系と同性能の150kW(750V・224A)で、6809編成以降は内扇型として高回転時の騒音を低減した。6000系と同じ1M方式(MTユニット)だが、歯車比を6500系と同じ5.60に変更したため、最高速度は110km/hとなっている(1996年より実施)。定格速度が6000番台車両の中では最も高い55km/hのため、最高速度以外の走行特性は、限流値や弱め界磁率を調節して6000系に合わせている。

運用 [編集]
6000系・6500系・6800系は合計で115編成330両が在籍し、4両組成50本200両(うち瀬戸線に9編成36両)と2両組成65本130両が、名鉄のほぼ全路線・区間において必要に応じて組み合わされて運行される。ただし現在、本線系統の6000番台形式は伊奈?豊橋間を走行する運用はない(ダイヤの乱れ等で臨時に乗り入れることはある)。また、最高速度を引き上げた6500系と6800系も6000系と混用されており、2005年以降はこれらの形式の運用によるダイヤが名古屋本線などでも最高速度100km/hとして組み直されたため、110km/hをマークする機会はそれ以前よりも減っている[22]。

ワンマン運転 [編集]
6000系2両・4両組成の一部は、三河線とトランパス非対応区間の蒲郡線および広見線の新可児?御嵩間でワンマン運転を行っている。

三河線ワンマン車は7700系・7100系と同様にホームセンサーに対応し、ドアチャイムや運転台にホームの監視モニターを装備している。ホームセンサーと車両側面が非常に近接しているため、6000系5次車以降の車両については客室窓の開閉部外側に保護棒が追設されている。4両組成は昼間時間帯に猿投駅に隣接する検査場や碧南駅に留置されたり、同線以外を走ったりすることもある。2両編成もたまに6000・6800系非ワンマン車の代走として、同線以外を走ることがある。
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら

トランパス未対応区間で運用されているワンマン車は、料金箱、ワンマン用ドアスイッチ、乗降ドア開閉アラーム、車内ミラー、自動放送装置、ドア締め切り表示灯などを装備している。ちなみに、ワンマン運転時はワンマン運転のサボを掲出するが、車掌が乗務する時は掲出しない。また、広見線でワンマン運転を行う時は方向幕を使用せず、白幕のまま運用している(車掌乗務時も方向幕を使用せず、ワンマンの表示がないサボを掲出することがある)。

2008年6月29日からは広見線の新可児?御嵩間でもワンマン運転を実施しているため、従来蒲郡線を走っている5編成のうち1編成を広見線に回して運用に充てている。予備車は存在しないため、検査などで1編成でも運用を離れたときは6800系などが代走する。この場合はワンマン運転に対応していないので車掌も乗務し、ホーム側の全ての扉を開け、集札も行っている。

蒲郡線と広見線の車両の交換は吉良吉田から新安城まで普通として走り、同駅で6000系・6500系4両に連結され、犬山まで走り、同駅で切り離しを行い、新可児まで普通として走る。また、広見線から蒲郡線への車両の交換は犬山まで普通として走り、岩倉まで回送し、同駅から豊明行の普通になり、同駅到着後、吉良吉田まで回送される。このワンマン車も朝を中心に、西尾線や広見線犬山?新可児間での運用もあり、そのときは車掌も乗務している。

該当編成は以下の通りである。

三河線ワンマン運転用
4両組成 - 6001F-6003F、6015F-6017F(6015F-6017Fは碧南方面ワンマン運転に合わせ2006年に改造された)
2両組成 - 6020F・6021F・6034F・6037F-6044F
トランパス未対応区間ワンマン運転用
2両組成 - 6009F-6013F

2009年03月07日

リーヴス (ミサイル巡洋艦)

リーヴス (USS Reeves, DLG/CG-24) は、アメリカ海軍のミサイル巡洋艦。リーヒ級ミサイル巡洋艦の9番艦。艦名はジョセフ・メイソン・リーヴス海軍中将に因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。

リーヴスは1960年7月1日にワシントン州ブレマートンのピュージェット・サウンド海軍造船所で起工する。1962年5月12日にジョセフ・M・リーヴス・ジュニア夫人(リーヴス中将の義理の娘)によって進水し、1964年5月15日に就役した。
ストレッ ハダール ハルジ ハーネス みずあ カトレヤ まぐわ 夏の月 ガイド 紫色カリフ ティング インディオ ショーアップ プルデン ソイビーン ソリスト レール アモチ コピー 繊細 スケジュー ダンボ 手まりか テルル 白いブランコ メデリン スターチス なめねこ ロット ピクノジェ ミラー 幸せの色 オドメー パンパス パイプ 5匹の子 はなびし ムーム レプチン スペンス チャリヤ ウルトラ ライン ハンドボ ツインベッド わにがわ スロット ドルユーザ トリオット チーズ

1960年代
公試および整調後にリーヴスはロングビーチを母港として信頼性試験及び訓練を行った。1965年4月10日にリーヴスは西太平洋で第7艦隊での最初の巡航を行う。6ヶ月間の展開ではベトナム沖合でのアメリカ軍の作戦支援を行い、主に対空哨戒を担当した。最初は航空母艦オリスカニー (USS Oriskany, CVA-34) を中心とした第77.3任務部隊で、続いてミッドウェイ (USS Midway, CVA-41)中心の第77.6任務部隊で活動する。1965年11月3日にロングビーチに帰還すると、同年の残りは西海岸で活動した。1966年5月26日にリーヴスは日本へ向かい、第7艦隊で2年間の配備に付く。6月16日に新たな母港の横須賀に到着し、7月7日には出航、ダナンに停泊する。その後2年間にわたってリーヴスは日本を拠点としてベトナム沖合で定期的な救助巡航を行い、493日間の巡航の内312日間をトンキン湾で過ごした。

リーヴスは1968年8月にアメリカへ帰国し、同年の残りはロングビーチ沖合でレーダーシステムの評価試験に従事した。1969年前半にバス鉄工所でのオーバーホールと近代化を命じられる。鉄工所には3月31日に到着し、4月10日に予備役に置かれ広範囲な改修作業が開始した。

1970年代
リーヴスは1970年8月29日にバス鉄工所で再就役する。9月10日から11月19日までの間にバスから新たな母港の真珠湾に移動する。この長時間をかけた移動の間に、様々な港に寄港し、グアンタナモ湾付近で3週間の回復訓練を行った。真珠湾に到着後はハワイ水域での多くの訓練演習および作戦活動に従事した。

1971年6月にはトンキン湾で活動する。1971年12月20日に真珠湾へ帰還し、1972年9月まで様々な作戦、訓練に参加し、夏季の海軍兵学校生巡航も行った。9月18日にハワイを発ち14日後にフィリピンのスービック海軍基地に到着した。ベトナム沖合の西太平洋での6ヶ月間の活動の後に、1973年3月17日に真珠湾に入港した。その後1974年までハワイに留まる。リーヴスは1975年6月30日に CG-24 (ミサイル巡洋艦)に艦種変更された。

1980年代
リーヴスは1980年代の大半、横須賀を母港として西太平洋に展開した。この期間、リーヴスはミッドウェイを中心に編成されたアルファ戦闘集団のレーダー・ピケット艦として対空哨戒に従事した。

2009年02月19日

オーベルト級/エクセルシオール級

オーベルト級(Oberth class)は『スタートレック』シリーズに登場する架空の宇宙船。惑星連邦所属、宇宙艦隊のスターシップである。一部のHPにて「オーバース級」と表記されているがこれは誤りである。
セロジネ ソラサ よどがわ リンネル マント チクング コスパ バックル マグニチ シンメト パトロール ナイト こだわ ブラック きえい イコライザ チューバ ミディサ ミオシン アケビ レッド 満龍 銀龍日本 ナイト シグマ ケマンソウ トハート スライダー セレシン おとずれ セーフ クサギ ナイト もろきゅ ローブ ナント テレマー デュー トロート ルシフ すげがさ ネオダマ 缶けり ドラム 山もみじ ドロップ プレス ニコラ トップ ハウンド

オーベルト級は小型の船体が特徴で、主に科学調査艦として活躍した。機体特徴は円盤部がドーサルネック部を使わずに機関部と連結されている部分だろう。円盤部左右にワープナセルが接続して、そこからウイング状の連結が葉巻型機関部に接続している。

生産性や運用性が良かったのか、23世紀後半に就航した初号艦から24世紀になっても姉妹艦が安定して使用されている。

最も初期の例として、2385年USSグリソムが惑星ジェネシス調査任務についたこと(『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』)があげられる。

中近距離の科学調査艦として使用されたが、移動用船や緊急時では救助船としても運用されている。

DS9には、連邦に運営を任されてからオーベルト級の艦が定期的にガンマ宇宙域調査の為に立ち寄っている(ドミニオン戦争前)。

フェイザーバンクやシールドを搭載してはいるが、最小限の武装の為戦闘には向いていない。本来、クリンゴンバード・オブ・プレイとの戦闘でさえ無理と思われるが、映画『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』において突如現れたクリンゴン艇に対し戦闘態勢を取っている所から乗員は少なくとも戦闘の訓練と心構えはあるようである。また、ウルフ359の戦いには姉妹艦のUSSボーンステルが参戦、大破している。

クラス名は、ドイツのロケット工学者ヘルマン・オーベルトに由来。

性能
フェーザーバンク 搭載
乗員数 80名

オーベルト級宇宙船の一覧
U.S.S.ヴァリアント (USS Valiant、NCC-20000)
ディファイアント級の同名艦とは別。
S.S.ヴィコ (SS Vico、NAR-18834)
ジャンバッティスタ・ヴィーコ、イタリアの哲学者に由来。宇宙艦隊所属ではない。
U.S.S.オーベルト(USS Oberth、NX-609→NCC-609)
ヘルマン・オーベルト、ドイツのロケット工学者に由来。オーベルト級の一番艦。
U.S.S.グリソム(USS Grissom、NCC-638)
バージル・”ガス”・グリソム、アポロ1号の事故で亡くなった宇宙飛行士に由来。惑星ジェネシスの調査任務中にクリンゴンバード・オブ・プレイの攻撃を受け喪失(『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』)。
U.S.S.コクレーン(USS Cochrane、NCC-59318)
ゼフラム・コクレーン、地球で初めてワープドライブを開発した架空の人物に由来。
U.S.S.コペルニクス(USS Copernicus、NCC-623)
ニコラウス・コペルニクス、天文学者に由来。
U.S.S.ツィオルコフスキー(USS Tsiolkovsky、NCC-53911)
コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー、ロシアのロケット工学者に由来。
U.S.S.ビコ (USS Biko、NCC-50331)
スティーヴ・ビコ、南アフリカのアパルトヘイト反対運動者に由来。
U.S.S.ペガサス(USS Pegasus、NCC-53847)
ペガサス、架空の動物に由来。
U.S.S.ボーンステル(USS Bonestell、NCC-31600)
チェスリー・ボーンステル、天体画家に由来。ウルフ359の戦いに参加、大破喪失。
U.S.S.ヨセミテ (USS Yosemite、NCC-19002)
アメリカのヨセミテ国立公園に由来。
U.S.S.ラマン(USS Raman、NCC-29487)
チャンドラセカール・ラマン、インドの物理学者に由来。

エクセルシオール級(-きゅう、Excelsior class)は、アメリカ合衆国のSFテレビドラマ『スタートレック』シリーズに登場する宇宙艦隊保有の宇宙船のクラス名の一つである。初出は『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』のU.S.S.エクセルシオールで、ILMのビル・ジョージがデザインした。

船の外観は、基本的にコンスティテューション級のもの(円盤部の後方下部に機関部があり、その両脇から上向きに1対のワープナセルが伸びている)を受け継いだ形状となっており、特に他のクラスの艦と比べて非常に長いワープナセルが特徴である。

また、一番艦のU.S.S.エクセルシオールは、従来のワープ航行よりもはるかに高速で移動することを目的としたトランスワープ航法の実験艦として建造されたという経緯があるが、結局この実験は失敗となっている。しかし、エクセルシオール級自体の設計思想やデザインは成功したといえており、実際運用開始から80年以上経った2370年代や『スタートレック:ヴォイジャー』でも、いまだ現役艦として頻繁に用いられているところを見ることができる。

U.S.S.エンタープライズBは、第二船体側面の張り出た構造やワープナセル後部に突起があるなどデザインが一部異なる。

エクセルシオール級宇宙船一覧
U.S.S.アル・バターニ (U.S.S.Al-Batani, NCC-42995)
アッバース朝時代の天文学者バッターニーに由来。
U.S.S.イントレピッド (U.S.S.Intrepid, NCC-38907)
アメリカの軍艦名に由来(USS Intrepid)。
U.S.S.エクセルシオール (U.S.S.Excelsior, NX-2000→NCC-2000)
エクセルシオール級の一番艦。
U.S.S.エンタープライズB (U.S.S.Enterprise-B, NCC-1701-B)
エンタープライズ (スタートレック)を参照。
U.S.S.オキナワ (U.S.S.Okinawa, NCC-13958)
日本の沖縄県に由来。
U.S.S.カイロ (U.S.S.Cairo, NCC-42136)
エジプトの首都カイロに由来。
U.S.S.グリソム (U.S.S.Grissom, NCC-42857)
アメリカの宇宙飛行士ガス・グリソムに由来。
U.S.S.クレイジー・ホース (U.S.S.Crazy Horse, NCC-50446)
ラコタの一支族オグララの指導者クレイジー・ホースに由来。
U.S.S.クロケット (U.S.S.Crockett, NCC-38955)
アメリカの軍人, 政治家デイヴィッド・クロケットに由来。
U.S.S.ゴルコン (U.S.S.Gorkon, NCC-40512)
クリンゴンの宰相ゴルコンに由来。
U.S.S.チャールストン (U.S.S.Charleston, NCC-42285)
アメリカサウスカロライナ州の都市チャールストンに由来。
U.S.S.ティカムサ (USS Tecumseh, NCC-14934)
アメリカに抵抗したショーニー族の首長テカムセ(ティカムサ)に由来。
U.S.S.バレー・フォージ (U.S.S.Vally Forge, NCC-43305)
アメリカ独立戦争時の野営地バレー・フォージ、アメリカの航空母艦ヴァリー・フォージなどが由来。
U.S.S.ファラガット (U.S.S.Farragut, 登録番号不明)
アメリカの提督デヴィッド・ファラガットに由来。
U.S.S.フィアレス (U.S.S.Fearless, NCC-14598)
イギリスの軍艦名に由来。
U.S.S.フッド (U.S.S.Hood, NCC-42296)
イギリスの軍艦名に由来。
U.S.S.フレドリクソン (U.S.S.Frederickson, NCC-42111)
画家のアンソニー・フレドリクソンに由来。
U.S.S.ベルリン (U.S.S.Berlin, NCC-14232)
ドイツの首都ベルリンに由来。
U.S.S.マリンチェ (U.S.S.Malinche, NCC-38997)
エルナン・コルテスの通訳を務めたインディオの女性マリンチェに由来。
U.S.S.メルボルン (U.S.S.Melbourne, NCC-62043)
オーストラリアの都市メルボルンに由来。ウルフ359の戦いに参加、喪失。
U.S.S.ラコタ (U.S.S.Lakota, NCC-42768)
アメリカの先住民族ラコタに由来。
U.S.S.リビングストン (U.S.S. Livingston, NCC-34099)
アメリカ独立宣言の起草に関わった政治家ロバート・R・リビングストンに由来。
U.S.S.ルーズベルト (U.S.S.Roosevelt, NCC-2573)
アメリカの大統領セオドア・ルーズベルトに由来。ウルフ359の戦いに参加、喪失。
U.S.S.レパルス (U.S.S.Repulse, NCC-2544)
イギリスの軍艦レパルス (巡洋戦艦)に由来。

2009年02月03日

足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつ

足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつ。本姓は源氏。家系は清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては御家人であると同時に将軍家一門たる御門葉の地位にあった。室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。藤原秀郷の子孫の藤原姓足利氏(藤姓足利氏)に対して源姓足利氏という場合がある。
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平安時代に河内源氏の棟梁、源義家(八幡太郎義家)の三男・源義国(足利式部大夫)は下野国足利荘(栃木県足利市)を領有、次男・源義康以降の子孫は足利氏を称する。新田氏とは同祖の関係である。

平安・鎌倉時代
義国の次男・源義康(足利義康)は鳥羽上皇の北面の武士となり、保元の乱においても平清盛、源義朝と共に戦う。藤原季範の娘(実は季範長男範忠の娘=源頼朝の母の姪)を妻にしている。その子足利義兼は治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に参加して、治承・寿永の乱、奥州合戦などに参加し、鎌倉幕府の有力御家人としての地位を得、御門葉として源氏将軍家の一門的地位にあった。 義兼が頼朝の妻北条政子の妹を妻に迎えたのをはじめとして、鎌倉時代に代々北条氏と縁戚関係を結ぶ。足利義氏以降のことと思われるが、上総・三河の守護職を務める。また細川氏、斯波氏、渋川氏、一色氏、畠山氏、吉良氏、今川氏などの庶流を分出し、一族は全国に広がった。

源氏将軍家滅亡後も北条氏とは婚姻や偏諱を通じて良好な従属関係を維持してきたが、第4代当主・足利泰氏は幕府に無断で自由出家(一説では、謀反の疑いがあったとされるが真偽は不明である)・引退し、第5代当主・足利頼氏と上杉重房の娘の間に生まれた第6代当主・足利家時は霜月騒動に関連して自害したと言われている。

第7代当主・足利貞氏は正室である北条一族の金沢顕時の娘・釈迦堂殿との間に長男・足利高義をもうけたが、高義は早世したため上杉重房の子・上杉頼重の娘・上杉清子との間にもうけた足利尊氏(高氏)が足利氏第8代当主を継いだ。清子との間には尊氏と並んで両将軍と呼ばれた足利直義ももうけている。尊氏は正慶2年(1333年)に後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉幕府を倒す功績を挙げた。

南北朝時代
尊氏は後醍醐天皇の建武の新政から離反した後、光明天皇から征夷大将軍に任じられ、京都に室町幕府を開いた。

しかしその後は南北朝の動乱の中で室町幕府は常に存亡の危機に立たされたが、そのたび乗り越え、尊氏の孫で第3代将軍・足利義満の時代になって南北朝合一を達成することとなる。

室町幕府将軍家
足利義満は明徳の乱、応永の乱などで有力守護大名を挑発しては討伐してその勢力を削減し、中国の明王朝から「日本国王」として冊封を受けて天皇に迫る権威を確立するなどして、幕府の安定化と全盛期を築き上げた。

しかし義満が死去すると次第に将軍権力の弱体化、守護大名の台頭が顕著になって行く。第6代将軍・足利義教は父・義満の政治路線を受け継いで将軍権力の強化を行なったが、そのあまりに強硬的なやり方は周囲の反発を招き、嘉吉の乱で暗殺されるに至って、遂に将軍権力の衰退と権威の失墜が露呈する結果となった。

第8代将軍・足利義政の時代には後継ぎ問題などをめぐって応仁の乱が発生し、室町幕府は京都だけを支配する一地方政権に転落した。

第10代将軍・足利義材(義稙)は管領の細川政元によって将軍職を追われ(明応の政変)、以後の将軍は実権を奪われて名目的存在となり、有力大名の支持なくしては将軍の地位さえ保てなくなった。

その後、足利将軍家では将軍の若死になども相次ぎ、第13代将軍・足利義輝の時代にわずかに将軍権力が復興される兆しもあったものの、永禄8年(1565年)5月に松永久秀らによって暗殺されてしまい、将軍は有名無実化した。なお、義輝暗殺後の3年間、室町幕府では将軍空位の時代が続き、一時的に幕府は消滅している。

義輝の実弟・足利義昭は、永禄11年(1568年)に織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍となった。この時、14代将軍であった義栄は阿波に逃れた。彼の系統は平島公方家と呼ばれる。やがて将軍の義昭は信長と対立して元亀4年(1573年)に京都を追放され備後に移り、室町幕府は終焉を迎えた。なお公卿補任は、天正16年(1588年)に豊臣政権が確立し足利義昭が京都で出家するまでは将軍職にあったと記録している。

義昭の子、義尋の男子は全て出家し、足利将軍家の直系は断絶した。

関東公方家
尊氏の子で関東支配のために父によって派遣された鎌倉公方・足利基氏は鎌倉を中心として関東を支配した。しかし基氏の死後、その子孫は京都の室町幕府将軍家と対立・抗争を繰り返し、遂に第4代公方・足利持氏に至っては第6代将軍・足利義教と衝突する事態に至った(永享の乱)。この戦いに敗れた持氏は義教の命令で自害を余儀なくされ、鎌倉公方家は滅亡した。

しかし義教の死後、義教によって助命されていた持氏の末子・足利成氏が足利義政より再興を許されて、第5代鎌倉公方となった。しかし成氏は関東管領の上杉氏と対立し、鎌倉を放棄して下総古河に移って古河公方と称した。成氏の死後、古河公方家では内紛が相次いで衰退し、第5代公方・足利義氏が天正11年(1583年)に死去すると、古河公方家は断絶した。

なお、足利義政の弟・足利政知から始まる堀越公方家は、第2代公方・足利茶々丸の時代に北条早雲によって滅ぼされた。第2代古河公方である足利政氏の次男・足利義明から始まる小弓公方家も天文7年(1538年)に北条氏綱によって滅ぼされた。こうして戦国時代までに、関東足利氏は政治の表舞台からことごとく姿を消すこととなる。

しかし義明の孫・足利国朝は室町幕府滅亡後、天下人となった豊臣秀吉に関東公方の足利氏再興を許され、下野喜連川に領地を与えられた。のちに喜連川氏に改め、その子孫は江戸時代には禄高5000石ながら10万石格の国主大名待遇の家として存続し、明治以後足利氏に復した。

喜連川氏系最後の当主であった足利惇氏が昭和58年(1983年)に死去して以降は、平島公方系の子孫が足利氏の祭祀を継承している。越前には、足利義嗣の子孫が鞍谷御所として続いた。

歴代棟梁
足利義康
足利義兼
足利義氏
足利泰氏
足利頼氏
足利家時
足利貞氏
足利高氏(尊氏)→足利将軍家

系譜
宗家(簡略)
凡例 太字は室町幕府将軍職、太線は実子、二重線は養子


 源義国
 ┣━━━━┳━━┓
足利義康 新田義重 季邦
┏┻━┳━┓
義兼 義房 源義清
┣━━━┓
義氏 畠山義純
┣━━━┳━━━┓
泰氏 吉良義継 吉良長氏
┣━━━┳━━━┓
頼氏 斯波家氏 一色公深

家時

貞氏
┣━━━━━━━━┳━━┓
尊氏       直義 高義
┣━━━━┳━━┓?  ┃
義詮(鎌倉公方)直冬 安芸守
┣━━┓ 基氏   ┣━━┓
義満 満詮   宝山乾珍 冬氏
┣━┳━━┳━━━┓ ┏┻┓    
義持┃(鞍谷公方)┃義尊 義将
┃ ┃  義嗣  義昭
義量┃
?┏┛
義教
┣━┳━┳━━━┓
義勝┃義視(堀越公方)
?┏┛┏┛  政知
義政┏┛  ┏━┻┓
┃ ┃   ┃ 茶々丸
義尚┃   ┃
?┏┛   ┃
義稙(義材)┃
?┏━━━━┛
義澄
┣━━━━━━━┓
┃     (平島公方)
義晴      義維
┣━━┳━┓  ┣━━┓
義輝 周嵩 義昭 義栄 義助
┃  ┏━┫     ┃
義辰 義尋 義在    義種
┣━━┓ ┃  ┏━━┫
至之 之直 義房 義次 義俊
┃  ┃ ┃  ┣━━┓
之氏 次之 義比 義景 義国
┃       ┃
氏清      義辰
┣━━┓    ┃
氏一 氏政   義武
┃  ┃    ┃
景備 氏景   義宜
┏━━┳━━┳━┫
義根 義智 義人 義恭
┣━━┓
義俊 義寛

義孝

義廉

進悟

義弘(現当主)

宗家(詳細)
                         清和天皇
 ┏━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━━╋━━━━┳━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
陽成天皇 貞固親王 貞元親王 貞保親王 貞平親王 貞純親王 貞辰親王 貞数親王 貞真親王 貞頼親王 源長猷 源長淵 源長鑒 源長頼
                          ┣━━━━━━━━┓
                          源経基(経基王) 源経生(経生王)
                          ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
                          源満仲 源満政 源満季 源満実 源満快 源満生 源満重 源満頼
                  ┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━┓
                  源頼光 源頼親 源頼信 源頼平 源頼範 源頼明 源頼貞 源孝道 源賢 源頼尋
                          ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
                          源頼義 源頼清 源頼季 源頼任 源頼政
                          ┣━━━┳━━━┳━━━┓
                          源義家 源義綱 源義光 源親清
                      ┏━━━╋━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
                      源義親 源義国 源義忠 源為義 源義時 源義隆
                     ┏━━━━╋━━━━┓
                   (新田荘)(足利荘)  ┃
                    新田義重 足利義康  季邦
   ┏━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━╋━━┓
   義清            義房       義兼 義長
   ┣━━━━━┳━━━━┓    ┏━━━┳━━╋━━━┓
   ┃   (広沢氏)(矢田氏)(畠山氏) ┃  ┃ (桃井氏)
   義基   広沢義実 矢田義房 畠山義純 義助 義氏 桃井義胤
    ┏━━━━╋━━━━━┓          ┣━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓
   (仁木氏)(細川氏)(戸賀崎氏)        ┃            (奥州吉良氏)        (三河吉良氏)
   仁木実国 細川義季 戸賀崎義宗        泰氏             吉良義継           吉良長氏
           ┏━━━━┳━━━┳━━┳━━╋━━━━┳━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┳━━━━┓   ┣━━━━━┓
         (斯波氏)(渋川氏) ┃  ┃  ┃ (石塔氏)(一色氏)(上野氏) ┃ (小俣氏)(加古氏) ┃   (今川氏)
          斯波家氏 渋川義顕 覚玄 相義 頼氏 石塔頼茂 一色公深 上野義有 覚海 小俣賢宝 加古基氏 吉良満氏 今川国氏
                          ┣━━┓
                          家時 正公
                          ┃  ┃
                          貞氏 朝清
                          ┃
                         足利将軍家

宗家(将軍家:詳細)
         足利貞氏
    ┏━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
    高義    尊氏1                             直義
 ┏━━┫  ┏━━╋━━━━━┓                        ?
 ┃  ┃  ┃  ┃  (鎌倉公方)                      ?
安芸守 源琳 直冬A 義詮2    基氏                       直冬A
          ┣━━┳━━━┳━━━━┓                  ┣━━━┓
          義満3 満詮 柏庭清祖 廷用宗器                冬氏 宝山乾珍
          ┣━━━━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓  ┣━━┓
          義持4     義嗣 義承 義教6 義昭 周喜 法尊 持円 尊満 義尊 義将
          ┣━━┓   ┃     ┣━━┳━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┳━━━━┳━━━┓
          ┃  ┃(鞍谷公方)   ┃  ┃     ┃         (堀越公方)(小松谷氏)┃
          義量5 持清  嗣俊    義勝7 義政8   義視           政知   義永  義尭
          ?(三淵氏)       ┏━━╋━━┓  ┣━━━━━━━┳━━┓ ┣━━━┳━━━┳━━━┓
          義教6           光清 義尚9 義覚 義稙10(義材)義仲 義純 茶々丸 潤童子 義澄11小田政治
       (足利義満子)          ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫
          ┃             ┃                          (平島公方)
          義勝7            義晴12                          義維
          ?             ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━┓    ┏━━╋━━┓
          義政8            義輝13               義昭15周嵩   義栄14義助 義任
          ┃         ┏━━━┫                 ┣━━┳━━┓    ┃
          義尚9        天誉 西山義辰               義尋 義在 義矯   義種
          ?             ┣━━━━┳━━━━┳━━━━┓     ┃       ┣━━━┳━━┓
          義材10          西山至之 西山義茂 西山義次 西山之直  永山義房    平島義次 義俊 宗徳
          ?             ┣━━━━┓         ┃     ┃       ┣━━━━┓
          義澄11          西山重辰 西山之氏      西山次之  永山義比    平島義景 平島義国
          ?                  ┃                       ┃
          義材10(再任)           西山氏清                    平島義辰
          ?                  ┣━━━━┓                  ┃
          義晴12               西山氏一 西山氏政               平島義武
          ┃                  ┃    ┃                  ┃
          義輝13               西山景備 西山氏景               平島義宜
          ?                           ┏━━━━┳━━━━┳━━━━╋━━━━┓
          義栄14                        足利義根 平島義智 平島義人 平島義豊 平島義恭
          ?                           ┣━━┓
          義昭15                         義俊 義寛
                                      ┃
                                      義孝
                                      ┃
                                      義廉
                                      ┃
                                      進悟
                                      ┃
                                      義弘(現当主)
鎌倉公方系統
凡例 太線は実子、二重線は養子
 足利尊氏
  ┃
  基氏(鎌倉公方)
  ┃
  氏満
  ┣━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓
  満兼 満貞(稲村公方)満直(篠川公方)満隆 
  ┣━━┓               ?
  持氏 持仲              持仲
  ┣━━━━━━━┳━━━┳━━━┓
  成氏(古河公方)義久  春王丸 安王丸
  ┣━━━┓
  政氏 上杉顕実
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┓
  高基               義明(小弓公方)基頼
  ┣━━━┓            ┣━━┓
  晴氏 上杉憲寛          頼純 義純
  ┣━━┳━━┳━━┳━━┓    ┣━━━┓
  義氏 藤氏 藤政 家国 輝氏   国朝  喜連川頼氏==氏姫
  ┣━━━┓                     ┃
  氏姫 梅千代王丸                  義親
                            ┣━━━┓
                            昭氏  氏信    
                            ?==?
                            氏春 氏信 
                            ┃
                            茂氏
                            ┃
                            氏連
                            ?
                            恵氏
                            ?
                            恵氏
                            ┣━━┳━━┓
                            彭氏 氏久 氏敏 
                            ┣━━━┳━━┓
                            煕氏  暉氏 綏氏 
                            ?==?
                            宜氏 紀氏(長岡護美)
                            ?
                            縄氏  
                            ?━━━━┓
                            足利聡氏 足利於菟丸 
                            ?
                           於菟丸
                            ┃
                            惇氏
                            ?
                            公平
足利氏の支族
関東公方系
関東公方
古河公方
小弓公方
喜連川氏
将軍家連枝
堀越公方
平島公方
鞍谷公方
御一家
吉良氏
石橋氏
渋川氏
三管領
斯波氏
畠山氏
細川氏
四職
一色氏
一門・親類
仁木氏
今川氏
石塔氏
桃井氏
その他庶流
戸賀崎氏
矢田氏
広沢氏
二本松氏
岩松氏
桃井氏
堀越氏
瀬名氏
関口氏
大崎氏
最上氏
天童氏
石塔氏
柴田氏(斯波一族とされるが異説あり)
板倉氏(渋川一族とされるが異説あり)
榊原氏(仁木一族とされるが異説あり)

足利氏の家臣
執事・探題
高氏
伊勢氏
上杉氏
諏訪氏
小笠原氏
四職
赤松氏
京極氏
山名氏
土岐氏

関連項目
足利将軍家
足利将軍一覧
栃木県足利市・鑁阿寺
兵庫県神戸市・福海寺
鎌倉公方
古河公方
小弓公方
堀越公方
堺公方
平島公方
足利学校
清和源氏

2009年01月20日

落語において用いられる表現の要素

言葉
音声として発せられる口頭語。
仕草
最小限のものに限られ、基本的に立上って歩くことはない。
仕草のための小道具
扇子、手ぬぐい、上方落語における見台と拍子木、張扇の五種に限定される。
そのほか特殊な演目における付随的要素
上方落語・音曲噺のはめもの、芝居噺の書割・ツケなど。
口演には直接関係ないが、落語の演ぜられる場を構成する要素
出囃子、噺家の衣装(着物)、座布団、高座、めくりなど。
の五種に区分することができる。このうち特に重要なのは言葉と仕草であり、これが落語という芸の根幹を成しているといえる。以下、言葉と仕草という要素を中心に説明してゆく。

言葉
一般的に古典落語には定められた口演台本があり、噺家はこれを記憶して高座で再現する(ただしかならずしも筆記されたものとはかぎらない。多くの場合は口伝えである)。すなわち落語のもっとも基礎的構成要素は、これらの台本を含めた「言葉」であるといえる。言葉の側面から見た落語には以下のような特徴が指摘できる。

地の文と会話文(対話文)で構成されているが、噺の勘所にくると会話文によってテンポよく話をすすめてゆき、説明的な地の文がすくなくなる(この点が話芸としての講談との相違である)。
地の文の省略によって伝えきれないディテール(登場人物の細かい気持の変化や感情、会話をとりまく情景)は仕草によって補われて表現される。
登場人物の多寡にかかわらずすべてを一人で演じ、役割わけをしない。このため声調、言葉づかい、話しかたなどによって登場人物の個性を印象づける工夫がなされる。
会話文から地の文への移りやその逆の場面、あるいはその他大勢的な多人数の会話においては、だれの視点から語られているのか判然としないナラティブが存在したり、気づかない間にナラティブが入れ替わったりするが、それが聴衆には不自然に聞こえない。

仕草
仕草は、落語において言葉の欠を補うための存在である。すなわち演劇のように話のすべての部分について仕草が伴っているわけではなく、言葉だけでは表現しきれない部分に補足的な意味を持って仕草が付加されているのである。もっとも「言葉だけでは表現しきれない」内容については、言葉では端的に表現できない動作や前述「言葉」の項で述べたような地の文の欠如を補うといった低次のものから、素の芸において聴衆のイマジネールを刺激するために付加されるきわめて高度のものまで含まれる[1]。仕草においても言葉同様、一人全役が原則であり、噺家は必要に応じて次々にさまざまな役のさまざまな仕草を仕分ける。 仕草の主なものには以下のようなものがある。

表情:登場人物の表情を演じる。必要に応じてわざと強調した、おもしろい表情をつくることもある。
視線:上位の人物が下位の人物に話しかける場合には舞台下手を向き、逆の場合には舞台上手を向く。会話の部分において、こうして視線を切り替えることが、登場人物を仕分けて聴衆に印象付ける効果的な手法となる。
ものを食べる:閉じた扇子を箸に見立てて、あるいは手づかみで、さまざまなものを食べる仕草が落語のなかにはある。食べものや食べる状況によって仕分けるコツがそれぞれにある。名人桂文楽が甘納豆(「明烏」)・枝豆(「馬のす」)などで見せた至芸が有名。
歩く:正座したまま、あるいは軽くひざ立ちぐらいになって、手をぶらぶら動かしながら、両膝を交互に動かす。立上って実際に歩くことは基本的にない。
書く:もっとも一般的には手ぬぐいを帳面や紙、扇子を筆に見立てて字を書く。上方落語の場合は見台を机に見立てることもある。
舟を漕ぐ:落語にはめずらしい大きな動きで、扇子を竿や艪にして演じる。力仕事らしい感じを出さなければならない。
寝る:横になることができないので、腕を添えてひじ枕の感じを出す。演出上の工夫である。
指さす・目をつかう:落語の性質上、噺のなかに登場するモノを実際に高座に持出すことは不可能であるために、虚空を指さしたり、見たりすることで、あたかもそれらがあるかのように演じる工夫がある。例えば「刀を抜く」という仕草の場合、扇子を柄に見立てて抜いた後、鍔元から切先まで視線を動かしながら見ると、刀の長さが観客に伝わるという口伝がある。
涙を流す:主に人情噺で多く用いられる。高座に持参した湯呑みの中の茶や湯に指をつけ、その指で目の下を縦になぞる。
厳密には話芸ではないが、食べる、飲む、歩く、走る、着るなど、登場人物の動作を、座布団の上に制限された動きで表現することも、臨場感を出す上で非常に重要な役割を果たす。

道具
使用する道具は、原則として扇子と手ぬぐいに限られる(稀に湯呑みも使われる)。扇子と手ぬぐいは、落語の表現上抽象性があらかじめ与えられており、状況に応じて、前者は箸や刀になり、後者は財布や証文になるなど、様々な用途で使用される。

扇子は落語家の符牒で「カゼ」と呼ばれ、特に幅が広く作ってある。刀、槍、箸、筆、キセルなど棒状の物の他に、開いた状態で手紙や提灯に見立てられる。

手ぬぐいは「マンダラ」と呼ばれる。財布や証文、煙草入れ、本、巾着など袋状・布状の物の他に、紐や縄として使われる。

上方落語ではこれらの他に見台と呼ばれる簡素な台と膝隠しが演者の前に置かれることがあるなどの特徴がある。

服装・効果音
落語家は単純な柄か無柄の和服を着用する。このとき、羽織の脱ぎ方一つをとっても約束事があり、演目のイントロダクションともいうべき関連した話題や背景を紹介していく枕から本題に移行する合図として羽織を脱ぐ場合、大店(おおだな)などの商家を扱った演目では羽織を羽織ったままの場合、八つぁん・熊さん等の名で代表される町人や職人が登場するものでは羽織を脱ぐ、などの区別がある。更に、羽織の脱ぎ方も肩から滑らせるようにして一瞬で脱ぐ所作も注目すべき点である。このような決めごとにより、観衆の耳目を自身の芸そのものに集中させる。落語は純粋な話芸であり、演じている最中は、音曲や効果音などは制限される。ただし地域や演目などによっては、出し物の最中に音曲や効果音が使用される場合がある。
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話の構成
本筋に入る前に演目に関わりのある小話が語られ、これを「枕」という。これの果たす役割は、小話で笑わせて、本題の前に聴衆をリラックスさせる、本題に関連する話題で聴衆の意識を物語の現場に引きつける、落ちへの伏線をはる、などがあげられよう。古典落語の演題の中には、現在では廃れてしまった風習、言葉を扱うものがあり、それらに関する予備知識がないと、話全体や落ちが充分に楽しめないことがあり、枕がこの目的にあてられることも多い。

本来の筋にはない、演者によって挿入されたおかしみのある部分を「くすぐり」と呼ぶ。一般的には話の筋から大きく外れないくすぐりが好まれる。

本来は落し咄は落ちによって締めくくられるが、最近は口演時間(寄席では概ね一人 15 分見当)の制約や、時代的に判り難い下げが出て来たなどの関係で、本来の下げまで行かずに終ることも多い。 前述のように人情噺、芝居噺などのほとんどには落ちはない。

他の芸能との違い
落語が再現芸術でありながら演劇や舞踏と一線を画して考えられるのは、演劇・舞踏といった芸能が通常扮装を伴って演技されるのに対して、落語においては扮装を排し、素のままで芸を見せるためである。すなわち落語では、噺家は登場人物や話の流れに相応しい身なりや格好をモノ(衣装・小道具・大道具・書割・照明・効果音)で表現することはなく、主として言葉と仕草によって演出効果をねらう。そのために、落語の表現要素は (1) 噺家の芸に結びつく基本的な要素(言葉、仕草)と (2) 1 を助けるためにその場に応じて何にでも変化できるようなニュートラルな最低限のモノ(小道具、衣装)とに区分することができるのである。これは、素の芸であることを前提とする落語の大きな特徴であるといえるだろう。

一人の話者が聴衆を笑わせる芸としては、ほかに漫談があげられる。しかし、漫談が聴衆に語りかける話法を用いるのに対し、落語は主として登場人物同士の対話によって話が進められてゆくことがひとつの大きな特徴といえるであろう。枕の部分を別とすれば、落語の本筋の部分では、必要最小限の情景の叙述(「地」といわれる部分)と、演出上、話からはなれて緊張を解くなどの目的で、「語りかけ」に戻ることもあるが、主として、物語は対話で成り立っている。 会話が少なく、主にいわゆる「地の文」で展開される話を「地噺(じばなし)」と呼ぶ。(『紀州』など)